2017年12月23日(土) 東海道、関宿〜沓掛・坂下宿〜鈴鹿峠 ぶらぶら(その1/4) (車、徒歩)
今年も街道を歩こうと思っていたけれどなかなか歩くことができなかった。そろそろ新しいを迎えることになるのでその前にとにかく街道を歩こうと思って出かけたのがこちらだった。
今回の街道は東海道、関宿から坂下宿を経て鈴鹿峠へ向かった。できれば土山宿まで行きたかったが交通の便の関係で鈴鹿峠より折り返して関宿へ戻るルートとなった。そのため、今回のルートはこちら。なお、予想以上に写真枚数が多くなったために投稿記事は「その1」〜「その4」の四部構成にした。
関宿・西の追分〜市瀬〜沓掛〜鈴鹿馬子唄会館〜坂下宿〜片山神社参道入口〜片山神社〜鈴鹿峠〜鏡岩〜万人講常夜燈 (赤文字の部分がこの記事に該当する区間)
【参考】
今回は次のマップを参考にした。そのため、写真の見出しにある「(17)関宿-C」などはこれらのマップによる。(ただし、私は古いマップを携帯していたので、ホームページに掲載されている番号とは一致していないようだ。)
- みえ歴史街道 ウォーキング・マップ 東海道 (ホームページ)
- みえ歴史街道 ウォーキング・マップ 東海道 (PDFファイル)
(なお、今回は同じルートを往復したため、写真は往路の順に掲載し、適宜復路分は引用として掲載した。)
こちら、関宿・西の追分にある駐車場に車を駐めると歩き始めた。
こちらは先に紹介したように引用なので復路の写真。鈴鹿峠から西の追分まで戻って来た時のもの。(記事の最初からゴールの写真をの載せるのは妙な感覚、企画倒れかもしれない)
西の追分、左へ進めば大和街道で加太を越えて伊賀から奈良へ、そして右へ進めば東海道で鈴鹿越えて京都へ。
いきなり、記事の最初で歩いて来た街道を思い出しながら振り返った。国道1号の歩道橋から。
この説明板を後にすると
国道1号を鈴鹿峠の方向へ歩き始めた。
岐路でこちらをパチリ。関ロッジへの入口はこんな所にあったのか。
また、歩道脇のフェンスの中に置かれているのがころび石のようだ。
市瀬交差点を背にしてさらに進むと
鈴鹿川に架かる橋を渡る手前を右方向へ折れるとしばらく川沿いを進む。
道なりに左方向へ曲がりながら進むと
市瀬橋にて鈴鹿川を渡る。以前は下流側を街道が通っていたようだ。
橋を渡り右方向へ進むとこのような家並みの先、
市ノ瀬社常夜燈が建っている。
柱石にはこのようなクサビの跡 (矢穴) が残され、「夜」の文字の辺りが黒くなっていた。
常夜燈を後にすると街道は国道1号を交差した。国道を横断すると
左手に大きな常夜燈が建ち、その奥には
西願寺。
家並みの間を通り抜けると街道は国道と合流した。
ここからはしばらく国道を歩くことになる。(途中で国道を離れて左へ膨らむように古い道があったので歩いてみたが全く踏まれていなかった。)
こんな警告板が現れると
この辺りから筆捨山が見える。
復路にて見つけた筆捨山の説明板がこちら。
この先の国道1号が警告板にもあるように大きく湾曲している。
この場所を復路で通った時、
こちらのバス停が気になったので「筆捨山」を確認しておこうと思ったが誰もいない?
国道を離れて家並みの奥へ進むとヤギ小屋を作っている男性を見つけて声を掛けた。するとその男性は快く筆捨山について話してくれた。地図と見比べてこの写真の山が筆捨山だと思っていた私だったが、実は微妙に間違っていた。筆捨山はここに見えるピークではなく、その手間にある岩場の稜線から続く左側の少し低いピーク(見た目には一体化していて区別できない。)だった。これは子供の頃からこの場所を知っている方に聞かないとわからない。この男性は歌川広重が浮世絵に描いた頃にこの地にあった四軒茶屋(しけんじゃや)の内のひとつの茶屋の子孫とのことだった。
また、その男性によるとかつては、現在国道の擁壁になっている場所にも家が建っていてその奥には古い東海道が通り、今もその名残があるとのことだった。
私はその言葉に興味を持ち、国道を横断するとその擁壁の奥へと進んだ。
するとこちらが古い東海道だろうと、それともさらに斜面の上方にあるのだろうか? それは定かではないが古を思わせる。
再び、鈴鹿川と交差すると
右側にこんな石標が建っていた。国道・・・
さらにその向かい側には・・・
そこに見えていたのは「一里塚趾」だった。
こちらで国道1号を離れ、右へ折れるとここは沓掛。
その入口には、こんな案内板。
さらにはこんな案内板も掲げられていた。
家並みを抜ける辺りには
このバス停があり、その先は家並みが途絶えた。
ここまで何km歩いたのだろう。鈴鹿峠まで4.4kmに迫っていた。思ったより近い感覚だ。
だらだらと長い坂が続いたのでここが「越こしの坂」だと思いながら歩いたがマップとは位置が異なっていた(疑問に思っていたので復路で地元の方、2名に確認したところはやりこちらが「越こしの坂」だった)。
坂の途中には農業集落排水事業 沓掛地区浄化センターがある。
越こしの坂を登り切るとその先には数軒の家が道路の左側に建っている。
こちらは帰路の写真で、右側の数件の家並みを過ぎると
ここから「越こしの坂」の下りとなる。
だらだらとした坂が続く。
振り返ってパチリ。
「越こしの坂」を越えてさらに進むと家並み途絶えた後、再び家並みに・・・。
「越こしの坂」から次の家並みに間を復路で逆行したのがこちら。
「越こしの坂」へ向かって進むと
右側に鈴鹿川が流れ、木々の間から飛び石が望めた。思わず坂道を下って行くと
何ともいい雰囲気の場所だった。飛び石の先はさらに寄り道したくなる場所だった。
沓掛の家並みを鈴鹿峠に向かってさらに進むと
右手に沓掛公民館。
また、 沓掛 バス停。
街道を思わせる雰囲気を楽しみながら
先へ進むと
坂下簡易郵便局が現れた。
復路では、この辺りで畑作業中の男性に「越こしの坂」について訊ねると快く丁寧に教えてくれた。(感謝)
復路では「越こしの坂」の場所が明らかになり早くその場所に辿り着きたいと思ったはずだったが、坂下簡易郵便局を過ぎた辺りで
こんなものを見つけてしまった。
それは丸太を組み合わせて作られた橋だった。思わず駆け寄ると渡ってからしばらく眺めていた。このようなモノにもこころ惹かれる。
庚申堂にお参りしてから
目の前にはドーム型の建物が見えてきた。それは鈴鹿馬子唄会館のホールだった。
鈴鹿馬子唄会館に立ち寄ろうとも思ったがまずは鈴鹿峠へ向うことを優先し、復路のお楽しみに取っておいた。
その1はここまで。