『春の社日祭』とは(野原神社)

2014年03月09日(日) 『春の社日祭』とは(野原神社) (車、徒歩)

度会郡大紀町野原ほかの散策 の途中で野原神社(七保神社)に立ち寄った。

野原神社(七保神社)(度会郡大紀町野原)

野原神社(七保神社)(度会郡大紀町野原)

 

野原神社を訪れるのはこれで三度目だ。

【参考】

 

手水を受ける前に社務所前にある掲示板が目についたので近寄ると、最近良く見かけるポスターの右側には

野原神社(度会郡大紀町野原)

野原神社(度会郡大紀町野原)

次の通り祭典の予告が掲示されていた。

「春の社日祭」の掲示(野原神社)

「春の社日祭」の掲示(野原神社)

三月二十八日火曜日午前九時斎行
春の社日祭
野原神社

「社日祭?」しかも「春の」があれば少なくとも「秋の」もあるのだろう。初めて知った「社日祭」の文字。「社日祭とはなんだろう?」と疑問を抱えながら手水を受けると鳥居をくぐり

野原神社(度会郡大紀町野原)

野原神社(度会郡大紀町野原)

拝殿へ向かった。

野原神社(度会郡大紀町野原)

野原神社(度会郡大紀町野原)

まずは、お参り。

野原神社(度会郡大紀町野原)

野原神社(度会郡大紀町野原)

 

お参りを済ませてから本殿を見つめると御扉の右手には次の立札があった。

野原神社(度会郡大紀町野原)

野原神社(度会郡大紀町野原)

平成二十二年十二月 遷座祭 三日
野原神社 御造営
奉祝祭 四日

 

また、拝殿の壁には次の掲示。

野原神社(度会郡大紀町野原)

野原神社(度会郡大紀町野原)

平成二十六年三月二日 日曜日
午前十時斎行
祈年祭
野原神社

 

この後、拝殿から本殿の右隣りにある小社へお参りすると、

野原神社と社(度会郡大紀町野原)

野原神社と社(度会郡大紀町野原)

あれれ、門の柱に・・・

野原神社と社(度会郡大紀町野原)

野原神社と社(度会郡大紀町野原)

こんな説明板が掲げられていた。「社日の由来」、まさしく疑問の答えだった。

「社日の由来」(野原神社)

「社日の由来」(野原神社)

社日の由来(平成二十三年三月)
社日祭
毎年三月二十日 九月二十六日頃
土の神の意
一、御神体は五角形の石体
一、春分は成育を祈り秋分は収穫に感謝する祭り
一、春分、秋分の最も近い戌の日土の神を祭る
一、春を春社、秋を秋社という
社日神名
少彦名神(国土経営)
大己貴神(大国主神)
天照大神
稲倉魂神(稲荷)
植安姫神(土の神)
当社の御神体は天保四年癸己八月十月設置百六十七年前

 

疑問が解消でき、晴れ晴れとした気分で別の参道を下り、

野原神社(度会郡大紀町野原)

野原神社(度会郡大紀町野原)

野原神社を後にした。

野原神社(度会郡大紀町野原)

野原神社(度会郡大紀町野原)

前回も紹介したように、この風景は三重県神社庁 教化委員会のホームページでは七保神社として紹介されている写真そのものだ。これも明治の末期に強行された一町村一社とする合祀政策の弊害なのだろう。七保神社の社標は残るものの、掲示類には野原神社の名しか見えない。氏子の方々にとっては野原神社、しかし神社庁は七保神社、皮肉なものだ。

【参考】

 

 【参考2】 合祀による弊害が残る他の神社

 

このような神社は世の中に多数残っているのだろう。
社日祭の話題からいつの間にか脱線してしまった。

 

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