宮川流域案内人の会主催行事「清流宮川の支流を歩こう! 濁川界隈散策(多気町)」

2015年05月23日(土) 宮川流域案内人の会主催行事「清流宮川の支流を歩こう! 濁川界隈散策(多気町)」 (車、徒歩)

宮川流域案内人の会主催行事である「清流宮川の支流を歩こう! 」の三回目である濁川界隈散策(多気町)に参加した。

「清流宮川の支流を歩こう! 濁川界隈散策(多気町)」

「清流宮川の支流を歩こう! 濁川界隈散策(多気町)」

このルートはたまたま下見兼山道整備に参加させていただいたので、余裕を持って歩くことができた。

 

本ウォークは多気町の濁川を散策なのだが、源流から歩くために大台町から峠(大台町からは三瀬越、多気町からは地蔵峠)を越えて多気町へ入った。さらには帰りにJR紀勢本線を利用するため、多気町から大台町へと雷ヶ戸峠を越えた。界隈散策とは名ばかりで本格的な山歩きとなった。

 

【大台町役場】

大台町役場に集合すると参加者は38人。

大台町役場(多気郡大台町佐原)

大台町役場(多気郡大台町佐原)

 

受付を済ませるとマップを受け取った。定刻となると挨拶、軽いストレッチの後

「清流宮川の支流を歩こう! 濁川界隈散策(多気町)」のマップ

「清流宮川の支流を歩こう! 濁川界隈散策(多気町)」のマップ

 

出発! なお、今回の案内人は、「車川山里ファン倶楽部」の主宰者であり、以前に「宮川流域案内人の会」会長をつとめられた寺村善治さん。

【参考】

 

道の駅 奥伊勢おおだいの前を通り過ぎ、さらに・・・

出発、大台町役場付近(多気郡大台町佐原)

出発、大台町役場付近(多気郡大台町佐原)

 

JR紀勢本線 上三瀬第二踏切を渡ると、三瀬館跡および上三瀬東池までは歩いたことがある道を進んだ。

JR紀勢本線 上三瀬第二踏切

JR紀勢本線 上三瀬第二踏切

【参考】

 

旧宮川高校の跡地に移転した大台厚生病院を大台町立大台中学校付近から遠望。

大台町立大台中学校付近から望む移転された大台厚生病院

大台町立大台中学校付近から望む移転された大台厚生病院

 

しばらくは、この道標に従って進めばよい。

「北畠神社・北畠具教三瀬館跡・・」の道標(大台町立大台中学校付近)

「北畠神社・北畠具教三瀬館跡・・」の道標(大台町立大台中学校付近)

 

道なりに進んで坂を下りきった十字路を左折さらに・・・

大台中学校〜北畠具教・三瀬館跡

大台中学校〜北畠具教・三瀬館跡

その先で坂道を上ってから左折して進むと

 

【北畠具教・三瀬館跡】

北畠具教・三瀬館跡の前へと到着。

北畠具教・三瀬館跡付近

北畠具教・三瀬館跡付近

 

トイレ休憩の間に、三瀬館跡付近と

北畠具教・三瀬館跡

北畠具教・三瀬館跡

 

小川を挟んで対岸にある北畠具教卿胴塚を訪れた。

北畠具教卿胴塚(北畠具教・三瀬館跡付近)

北畠具教卿胴塚(北畠具教・三瀬館跡付近)

 

休憩が終わると一列になって点呼の後、東池に向けて出発。

北畠具教・三瀬館跡〜上三瀬東池

北畠具教・三瀬館跡〜上三瀬東池

 

「林道 上三瀬線 起点」の案内板を過ぎると

大台町 林道 上三瀬線 起点

大台町 林道 上三瀬線 起点

ほどなく、東池に到着した。

 

【上三瀬東池】

上三瀬東池(大台町上三瀬)

上三瀬東池(大台町上三瀬)

 

参加者は東池の畔にてこれから向かう三瀬越の方向を遠望すると

上三瀬東池付近(大台町上三瀬)

上三瀬東池付近(大台町上三瀬)

 

第一の目標を三瀬越に定めた。

上三瀬東池(大台町上三瀬)付近から三瀬越の遠望

上三瀬東池(大台町上三瀬)付近から三瀬越の遠望

 

しばらくはこんな林道歩きが続いた。

林道 上三瀬線(大台町上三瀬)

林道 上三瀬線(大台町上三瀬)

林道 上三瀬線(大台町上三瀬)

林道 上三瀬線(大台町上三瀬)

林道 上三瀬線(大台町上三瀬)

林道 上三瀬線(大台町上三瀬)

林道 上三瀬線(大台町上三瀬)

林道 上三瀬線(大台町上三瀬)

林道が終点となるとその先は山歩きとなった。

 

【林道 上三瀬線 終点の先】

山道へ足を踏み込むと間伐された木の倒木を越えたり、

大台町 林道 上三瀬線 終点〜三瀬越越

大台町 林道 上三瀬線 終点〜三瀬越

 

急な傾斜の参道を一歩一歩・・・

大台町 林道 上三瀬線 終点〜三瀬越

大台町 林道 上三瀬線 終点〜三瀬越

 

見上げればスギだらけだった。

大台町 林道 上三瀬線 終点〜三瀬越

大台町 林道 上三瀬線 終点〜三瀬越

 

約40人の列はかなり長くなった。

大台町 林道 上三瀬線 終点〜三瀬越

大台町 林道 上三瀬線 終点〜三瀬越

 

先頭が三瀬越付近へ到着すると前回の下見で発見したお地蔵さんが注目を浴びていた。

三瀬越付近のお地蔵さん

三瀬越付近のお地蔵さん

 

全員がお地蔵さんの付近まで到着すると、寺村さんが地蔵にまつわるエピソードと共に先日の下見で発見された時の様子を紹介した。

三瀬越付近

三瀬越付近

 

その詳細については、次の記事を参照。

【参考】

 

【三瀬越(地蔵峠)】

お地蔵さんについての説明が終わると峠を越えて大台町(上三瀬)から多気町(車川)へ。

三瀬越にて大台町上三瀬から多気町車川へ

三瀬越にて大台町上三瀬から多気町車川へ

 

しばらくは整備されている林道を歩いて重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐へと向かった。

三瀬越〜重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐

三瀬越〜重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐

三瀬越〜重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐

三瀬越〜重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐

 

【重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐】

この分岐から1.7km先には、1945年5月22日に任務を終えて浜松の基地へ戻ろうとしていた重爆撃機が墜落した場所があり、そこには搭乗員の鎮魂碑が建立されているとのこと。

重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐(多気町車川)

重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐(多気町車川)

 

この付近で昼食となった。昼食の間に鎮魂碑を往復しようと途中まで歩き始めたが、林道に目印もないためもしも遅れたら団体行動支障をきたすと大人の判断で今回は寄り道は見送った。

 

おとなしく昼食を終えると周囲を散策。出発時刻となったので林道を下り盗石防止ゲートへ向かった。

珍しい年輪をパチリ。

重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐〜盗石防止ゲート

重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐〜盗石防止ゲート

 

長い坂道を下りきると

重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐〜盗石防止ゲート

重爆撃機墜落鎮魂碑への林道分岐〜盗石防止ゲート

 

この付近で上津又川に向かって説明が開始された。この周辺に立つ多数の木々には幹に傷がある。それは庭石等に珍重された大きな緑泥片岩が盗石された時にワイヤーを掛けた痕だった。

盗石の事実を物語る木の幹の傷の説明(盗石防止ゲート付近)

盗石の事実を物語る木の幹の傷の説明(盗石防止ゲート付近)

 

樹皮に傷がつくと生長にも影響を与え、商品価値も下がる。

盗石の事実を物語る木の幹の傷(盗石防止ゲート付近)

盗石の事実を物語る木の幹の傷(盗石防止ゲート付近)

 

【盗石防止ゲート】

このような盗掘対策として設置されたのがこの盗石防止ゲートだったそうだ。

盗石防止ゲート付近

盗石防止ゲート付近

 

【角支小場広場?】

盗石防止ゲートを後にして林道(実は県道429号)を進むと左手に広場(砂防ダムに土砂が堆積した場所)がある。川の水は伏流しているため川の流れを実感することはできない。

角支小場広場

角支小場広場(?)

 

この場所で今回の集合写真撮影となった。カメラマンは宮川流域案内人の会 副会長である中野さん、全員が写れるようにと位置や身体の向きまで細やかな心配りがありがたい。

本格的な(?)記念撮影

本格的な(?)記念撮影

 

記念撮影の後、少し休憩時間があったので、砂防ダムの上へと移動すると

砂防ダム(角支小場広場)

砂防ダム(角支小場広場)

 

下流側を覗いてパチリ。

砂防ダムの上部から望む上津又川(濁川の支流)

砂防ダムの上部から望む上津又川(濁川の支流)

 

また、土砂が溜まったダムの周囲にてこんな堆積部を発見。

上津又川の砂防ダムにて

上津又川の砂防ダムにて

 

さらにこんなものまで。何の記号だろう? 【キタヰの妻】に聞いたらすかさず「電電公社」。ご名答だった。どこから流れてきたのだ?

上津又川の砂防ダムにて

上津又川の砂防ダムにて

 

砂防ダムを後にするとさらに・・・

角支小場広場〜文後分岐・碑

角支小場広場〜文後分岐・碑

 

途中で立石なる大岩をパチリ。道路側からは木々が邪魔となり撮影できなかったので背後へと回りこんでのパチリ。次の写真の右端に人の姿が・・・。

立石(角支小場広場〜文後分岐・碑)

立石(角支小場広場〜文後分岐・碑)

 

上津又川の流れに沿って・・・

角支小場広場〜文後分岐・碑

角支小場広場〜文後分岐・碑

 

清らかだ。

角支小場広場〜文後分岐・碑

角支小場広場〜文後分岐・碑

 

そして、上津又川の流れから離れるとその先には文後分岐。

角支小場広場〜文後分岐・碑

角支小場広場〜文後分岐・碑

 

【文後分岐・碑】

この分岐には重爆撃機墜落の事実が忘却されないように「航空戦士散華の地」の碑が建てられている。

文後分岐・碑

文後分岐・碑

この碑には、次の内容と地図、村山機に搭乗していた隊員の名前が刻まれている。

第二次世界大戦末期。沖縄そして硫黄島は既に米軍占領下にあり、本土空襲の重要基地となっていた硫黄島米軍基地を攻撃するため浜松飛行場にあった日本陸軍の浜松教導飛行師団によって四式重爆撃機6機人員約60名で攻撃隊が編成された。制空権、制海権は既に無く、無線封止しての有視界飛行による夜間攻撃であり、激しい訓練に依ってのみ果たせる作戦であった第一回攻撃は昭和20年(1945年)5月21日の夕刻浜松飛行場を2個中隊6機が出撃したが、天候も味方せず浜松に引き返した飛行機もあった。村山機は硫黄島の基地爆撃の成功を浜松基地に無線報告の後、浜松に引き返し、本土に近付くと浜松基地に方向の指示を要求したが、受信機が破損していたのか、地上基地からの懸命な指示も届かず、その後通信も途絶え当地の奥山(弓部山)に墜落したものである。

 

また、この分岐から坂を上るとその上部には用水路、この水は上津又川から引かれている。

高い場所に流れている用水路(文後分岐・碑付近)

高い場所に流れている用水路(文後分岐・碑付近)

 

分岐を後にすると

文後分岐・碑〜油田公園

文後分岐・碑〜油田公園

県道429号(佐原勢和松阪線)

県道429号(佐原勢和松阪線)

 

多気町消防団第6分団の建物付近で珍しい石垣を発見。

県道429号(佐原勢和松阪線)、多気町消防団第6分団

県道429号(佐原勢和松阪線)、多気町消防団第6分団

 

ここは水場跡のようだが、その壁面に積まれている石の形状(長方形の千枚岩「スギ石」)と積み方が独特だ。

珍しい積み方の石垣と水場(多気町消防団第6分団付近)

珍しい積み方の石垣と水場(多気町消防団第6分団付近)

 

その先には車川八幡神社と観音寺。観音寺は三瀬館の鬼門を守るお寺で以前は下三瀬と車川の境界にあったとのこと。

車川八幡神社と観音寺(多気町車川)

車川八幡神社と観音寺(多気町車川)

 

神社好きな私は、車川八幡神社にお参り。平成25年には式年遷宮が執り行われていた。

車川八幡神社と観音寺(多気町車川)

車川八幡神社と観音寺(多気町車川)

 

観音寺を後にしてさらに進むと左手には立派な石垣の棚田となっていた。

観音寺付近の石垣(多気町車川)

観音寺付近の石垣(多気町車川)

 

車川はかつて醸造業で栄えていて、多数の醸造場があったそうだ。その名残がこの石垣にもある?

観音寺付近の石垣(多気町車川)

観音寺付近の石垣(多気町車川)

 

石垣を過ぎると前方には橋が見え、

油田公園付近(多気町車田)

油田公園付近(多気町車田)

 

右側、川の向こう側には「油田公園 多気町」の看板が望めた。

油田公園(多気町車田)

油田公園(多気町車田)

 

橋の袂へ到着するとそこにはこの道標が建っていた。「右 粥見村 三瀬谷村・・・」

車川橋(濁川)付近に立つ道標

車川橋(濁川)付近に立つ道標

 

濁川(すでに三本の支流、上津又川、中津又川さらに下津又川が合流し濁川となっていた)に架かる車川橋を渡ると

車川橋(濁川)

車川橋(濁川)

その先には

 

【油田公園】

油田公園。こちらには江戸時代末期から太平洋戦争末期まで酒造りを営んだ油田醸造の母屋と蔵が残され、地元の活性化に活用されている。門をくぐると

油田公園(多気町車川)

油田公園(多気町車川)

 

広い敷地をパ〜チリ。

油田公園、旧油田醸造の母屋ほか(多気町車川)

油田公園、旧油田醸造の母屋ほか(多気町車川)

 

母屋へ入ると人数分の「いばらまんじゅう」が準備されていた。今回の案内人である寺村さんの奥様が密かに準備してくれていたそうな。ごちそうさまでした。(感謝)

油田公園、旧油田醸造の母屋にて(多気町車川)

油田公園、旧油田醸造の母屋にて(多気町車川)

 

窓からの風景をパチリ。

油田公園、旧油田醸造の母屋からの風景(多気町車川)

油田公園、旧油田醸造の母屋からの風景(多気町車川)

 

しばしの休憩を終えると油田公園を後にして本日二回目の峠越えへと向かった。

油田公園、旧油田醸造の母屋ほか(多気町車川)

油田公園、旧油田醸造の母屋ほか(多気町車川)

 

しばらく歩くと下津又川。しばらくつかず離れず・・・

下津又川(油田公園〜雷ヶ戸峠分岐)

下津又川(油田公園〜雷ヶ戸峠分岐)

 

油田公園〜雷ヶ戸峠分岐

油田公園〜雷ヶ戸峠分岐

 

【雷ヶ戸峠分岐】

ほどなく、雷ヶ戸峠への分岐に到着。

雷ヶ戸峠分岐

雷ヶ戸峠分岐

 

ここから峠までは土砂崩れの場所を何ヶ所か通過。

雷ヶ戸峠分岐〜雷ヶ戸峠

雷ヶ戸峠分岐〜雷ヶ戸峠

雷ヶ戸峠分岐〜雷ヶ戸峠

雷ヶ戸峠分岐〜雷ヶ戸峠

数回の折り返しを終えると雷ヶ戸峠へ。

 

【雷ヶ戸峠】

雷ヶ戸峠にてしばしの休憩。この峠へは別方向からも林道の整備が進められているそうだ。

雷ヶ戸峠

雷ヶ戸峠

峠を越えると多気町から大台町へ、濁川の流域を後にした。

 

ここからの下りが最も荒れていて、危険個所が数カ所。こちらは傾斜の強い下りで足元に注意しながら一歩一歩。三点支持が必要なほどに急なところも・・・。

雷ヶ戸峠〜三ツ谷池公園

雷ヶ戸峠〜三ツ谷池公園

 

この後、1箇所は斜面が崩れやすかったためロープを張り安全を確保しつつ全員が無事に通過。

そのあとは山道をゆったりと下るだけとなった。

雷ヶ戸峠〜三ツ谷池公園

雷ヶ戸峠〜三ツ谷池公園

 

【三ツ谷池公園】

そして到着したのが三ツ谷池公園、池の畔。

三ツ谷池公園(大台町粟生)

三ツ谷池公園(大台町粟生)

 

来ヶ谷橋(この橋の名は「雷」ではなく「来」となっている。多気町側からと大台町側からでは漢字も異なる?)を渡ると

来ヶ谷橋、三ツ谷池公園(大台町粟生)

来ヶ谷橋、三ツ谷池公園(大台町粟生)

 

紀勢自動車道の下に広がる公園へと移動した。大きな丸太で作られたカブト虫をパチリ。

三ツ谷池公園(大台町粟生)

三ツ谷池公園(大台町粟生)

 

優雅に泳ぐ鯉を眺めながらしばしの休憩の後、

三ツ谷池公園(大台町粟生)

三ツ谷池公園(大台町粟生)

 

JR紀勢本線 川添駅を目指した。

三ツ谷池公園(大台町粟生)〜JR紀勢本線 川添駅

三ツ谷池公園(大台町粟生)〜JR紀勢本線 川添駅

 

【JR紀勢本線 川添駅】

ここからの帰路は列車での移動。多くは下りで三瀬谷駅へ向かうのだが、JRを利用しての参加者で上り方向の列車に乗る方が二人。そのため、駅での解散となった。

JR紀勢本線 川添駅

JR紀勢本線 川添駅

 

下り方向の列車「新宮行き」が到着すると全員が乗り込んだ。

JR紀勢本線 川添駅

JR紀勢本線 川添駅

 

上り列車に別れを告げると・・・

JR紀勢本線 川添駅

JR紀勢本線 川添駅

三瀬谷へ向かう車窓からの風景を眺めながら熊野古道伊勢路を歩いた時の記憶が蘇った。

【参考】

 

【JR紀勢本線 三瀬谷駅】

ひと駅の楽しい時間を過ごしたプチ列車旅を終えると特急は停車するが無人駅である三瀬谷駅へ到着。

JR紀勢本線 三瀬谷駅

JR紀勢本線 三瀬谷駅

 

特徴的な駅舎を後にすると

JR紀勢本線 三瀬谷駅

JR紀勢本線 三瀬谷駅

線路の向こう側にある大台町役場へと戻った。

 

【大台町役場】

大台町役場の裏手から

大台町役場付近

大台町役場付近

 

出発地点であった役場の入口付近へ到着。すでに川添駅にて解散しているので流れ解散となった。

大台町役場前

大台町役場前

 

次回の宮川(支流)ウォークは6月7日(日)で、一之瀬川(度会町)16km。参加希望の方は次のリンクをご覧ください。

【参考】

 

【 20150523 の記録 】

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です