お伊勢さん125社まいり 外宮めぐり その1

2014年03月29日(土) お伊勢さん125社まいり 外宮めぐり その1 (徒歩)

以前に紹介した平成6年(20年前)にザ・伊勢講受入協議会と近鉄が主催で実施されたお伊勢さん125社のマップと資料を元に今回は外宮めぐりを実施した。外宮めぐりを選択した理由は、このルートの途中にある旧豊宮崎文庫が一時的に一般公開され、オヤネザクラを観覧できるからだった。

【参考】

 

今回のマップでコースを確認するとスタート地点は近鉄五十鈴川駅、そしてにゴール地点は伊勢市駅だった。

平成6年 お伊勢さん125社めぐり 外宮めぐりコースマップ

平成6年 お伊勢さん125社めぐり 外宮めぐりコースマップ

これなら私の徒歩での行動圏内だったので、マップ通りのルートをたどるためまずは近鉄五十鈴川駅を目指した。

【参考】

 

スタート地点である近鉄 五十鈴川駅へ到着すると駅舎の壁面にタッチして外宮めぐりが開始された。

近鉄五十鈴川駅、ロータリー

近鉄五十鈴川駅、ロータリー

なお、今回の訪問先をリストアップするとかなりの数になってしまうため割愛した。また、訪問先に関しては先ほどのPDFファイルに解説が掲載されているため記事内では説明を省略している。

 

五十鈴川駅からバスのりばの脇を通り、

近鉄五十鈴川駅バスのりば

近鉄五十鈴川駅バスのりば

 

駅のロータリーを後にすると駅の入口には門(?)があり、

近鉄五十鈴川駅

近鉄五十鈴川駅

そこには「日本のこころ 伊勢」と書かれている。むぅむぅ!

「日本のこころ 伊勢」の門(近鉄五十鈴川駅)

「日本のこころ 伊勢」の門(近鉄五十鈴川駅)

 

マップに従って大五輪塔(現地の説明板には大五輪[おおごり]の五輪塔とある。)を目指した。

近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ

近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ

 

その途中、皇學館会館の手前で満開の桜を発見、幸せな気分になる。

皇學館会館付近の桜(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

皇學館会館付近の桜(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

左手にある皇學館会館を過ぎると

皇學館会館(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

皇學館会館(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

会館の駐輪場だろう、先日の大雪被害がここにも。

皇學館会館付近(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

皇學館会館付近(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

 

伊勢自動車道とその両側にある側道の下をくぐると

頭上を走る伊勢自動車道と両側の側道(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

頭上を走る伊勢自動車道と両側の側道(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

その先はかなり傾斜のある坂道。登り切った辺りで振り向いてパチリ。

坂道の上から振り返って(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

坂道の上から振り返って(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

 

坂の突き当りは丁字路となっていて、進路は右へ。曲がってからパチリ。この方向へ進んだ。

坂道の上から五輪塔へ(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

坂道の上から五輪塔へ(近鉄五十鈴川駅から大五輪の五輪塔へ)

 

五輪塔を探して少し寄り道してしまったが、五輪塔は右手にあるこの路地の先にあった。

 

【大五輪の五輪塔】

路地を進むと階段と赤い鳥居。

大五輪の五輪塔(伊勢市楠部町大五輪)

大五輪の五輪塔(伊勢市楠部町大五輪)

鳥居の先には巨大な五輪塔があった。

大五輪の五輪塔(伊勢市楠部町大五輪)

大五輪の五輪塔(伊勢市楠部町大五輪)

塔の高さは私の身長(165cm)をはるかに越えていた。説明板によると340cmとある。

大五輪の五輪塔(伊勢市楠部町大五輪)

大五輪の五輪塔(伊勢市楠部町大五輪)

後方、お稲荷さんの前からパチリ。

大五輪の五輪塔(伊勢市楠部町大五輪)

大五輪の五輪塔(伊勢市楠部町大五輪)

正面に説明板があった。

「大五輪の五輪塔」説明板(伊勢市楠部町大五輪)

「大五輪の五輪塔」説明板(伊勢市楠部町大五輪)

 

【大五輪の五輪塔〜倭姫前交差点】

五輪塔を後にすると御幸道路の倭姫前交差点を目指した。交差点への坂道を下る途中で大鳥居が見える。先日、グリーンライトアップされていた姿は幻想的だったが、このビューもなかなかのものだ。

大五輪の五輪塔から倭姫前交差点(御幸道路)へ

大五輪の五輪塔から倭姫前交差点(御幸道路)へ

【参考】

倭姫前交差点に到着すると

倭姫前交差点(御幸道路)

倭姫前交差点(御幸道路)

倭姫前交差点(御幸道路)

倭姫前交差点(御幸道路)

 

【神宮文庫の表門】

まずは横断歩道を渡り、右手に見える神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)へ向かった。

神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)

神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)

門をくぐると

神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)

神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)

その先の坂道を進んだ。

表門(黒門)から神宮文庫へ

表門(黒門)から神宮文庫へ

 

坂の途中に階段があり、その先には神宮文庫がある。

【神宮文庫】

神宮文庫

神宮文庫

神宮文庫

神宮文庫

【参考】

【皇學館大学神道博物館】

また、坂道を挟んで神宮文庫の向かいには佐川記念館 皇學館大学神道博物館がある。

佐川記念館 皇學館大学神道博物館

佐川記念館 皇學館大学神道博物館

 

今日はゆっくり見学している時間がなかったので、先ほど上った坂を一気に下った。

神宮文庫から表門(黒門)へ

神宮文庫から表門(黒門)へ

 

 

表門の屋根を見上げると立派な鯱瓦。

神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)

神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)

さらに飾り瓦、「松の枝をくわえてる?」

神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)

神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)

「ところでこの金具は何に使われるのだろう?」検討もつかない。

神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)

神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)

 

黒門を背にして対角には倭姫宮参道の鳥居が見える。次は旧御師葉山大夫邸の薬医門へ向かうので、

倭姫前交差点(御幸道路)

倭姫前交差点(御幸道路)

横断歩道を渡ると右へ折れ、しばらく御幸道路の歩道を歩いた。

倭姫前交差点から旧御師葉山大夫邸の薬医門へ(御幸道路)

倭姫前交差点から旧御師葉山大夫邸の薬医門へ(御幸道路)

 

右手に見える皇學館大学の正門を過ぎると「SANCO皇學館大学前 バスのりば」があり、

SANCO皇學館大学前 バスのりば

SANCO皇學館大学前 バスのりば

その先には立ち入りできない状態の門がある。こちらが旧御師葉山大夫邸の薬医門だ。

 

【旧御師葉山大夫邸の薬医門】

旧御師葉山大夫邸の薬医門(SANCO皇學館大学前 バスのりば付近)

旧御師葉山大夫邸の薬医門(SANCO皇學館大学前 バスのりば付近)

説明板はこちら。

「旧御師葉山大夫邸の薬医門」説明板

「旧御師葉山大夫邸の薬医門」説明板

 

この門には鯱瓦は載っていなかったので、飾り瓦をパチリ。

旧御師葉山大夫邸の薬医門

旧御師葉山大夫邸の薬医門

 

医薬門を後にすると来た道を戻り続いては倭姫宮を目指した。

先ほど通り過ぎた「SANCO徴古館前 バスのりば」の先には

SANCO徴古館前 バスのりば

SANCO徴古館前 バスのりば

倭姫宮。

 

【倭姫宮】

先ほど五輪塔の方から下ってきた坂道と神宮徴古館へ向かう坂道の間にある鳥居が参道入口だ。

倭姫宮

倭姫宮

 

鳥居をくぐると

倭姫宮

倭姫宮

参道は谷の底まで一気に下りとなる。

倭姫宮

倭姫宮

 

下りきると参道は水平道となり、

倭姫宮

倭姫宮

続いてはこの石階で高度を取り戻す。

倭姫宮

倭姫宮

 

手水舎で手水を受け、心身を清めてから倭姫宮へ向かうと先日と同様、新御敷地には簀屋根が掛けられた状態だった。しかし、御造営の音は聞こえず静けさに包まれていた。

新御敷地に建てられている簀屋根(倭姫宮)

新御敷地に建てられている簀屋根(倭姫宮)

 

倭姫宮にお参りすると珍しい光景を目の当たりにした。

倭姫宮

倭姫宮

こちらだ。(わかるかな?)

倭姫宮

倭姫宮

本日のめぐりでの最初の125社でのお参りを終えると宮域を後にした。

倭姫宮

倭姫宮

 

続いては神宮徴古館、神宮美術館、神宮農業館であるが、今日は時間に余裕がないので拝観しないで外観を確認するのみで終えた。こちらが神宮徴古館、

神宮徴古館

神宮徴古館

そして、神宮美術館、神宮農業館の案内をパチリ。建物の外観を確認したが写真は無し。

式年遷宮記念神宮美術館、神宮農業館の道案内板

式年遷宮記念神宮美術館、神宮農業館の道案内板

 

神宮美術館、神宮農業館の間の坂を下ると左手に駐車場があり、その隅にトイレがある。

神宮徴古館の駐車場

神宮徴古館の駐車場

さらに下ると車止めの先にも参道が続く。(徒歩、自転車なら大丈夫)この付近も桜が満開になれば綺麗だろう。

倭姫宮参道(神宮徴古館の駐車場側)

倭姫宮参道(神宮徴古館の駐車場側)

 

倭姫宮参道から御幸道路へ合流すると宇治山田駅方向へ歩いた。その先、左側には

御幸道路(日蓮聖人誓の井戸付近)

御幸道路(日蓮聖人誓の井戸付近)

 

【日蓮聖人誓の井戸】

日蓮聖人誓の井戸の案内板がある。生け垣の間から先へ進むと

日蓮聖人誓の井戸(伊勢市倭町)

日蓮聖人誓の井戸(伊勢市倭町)

縦に長い広場の左手に石碑と井戸がある。

日蓮聖人誓の井戸(伊勢市倭町)

日蓮聖人誓の井戸(伊勢市倭町)

 

御幸道路へ戻ると先へ進み次の丁字路を

御幸道路(日蓮聖人誓の井戸付近)

御幸道路(日蓮聖人誓の井戸付近)

左へ折れた。上りの坂道だ。

御幸道路から宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)へ

御幸道路から宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)へ

坂道を上ると右手には華やかな花壇があった。女性が手入れしていたので挨拶し、お礼を述べた。(感謝)「すぐに草が生えてくるので大変だ」とのこと。

宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)向かいにある花壇

宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)向かいにある花壇

 

【宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)】

花壇の向かいには宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)があり、

宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)

宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)

さらに、この坂道の先には金刀比羅神社が鎮座している。

「金刀比羅神社 神落萱神社 常明寺跡」の石柱(伊勢市倭町)

「金刀比羅神社 神落萱神社 常明寺跡」の石柱(伊勢市倭町)

 

坂道を上ると上り切る手前にあるのがこちら、宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)。

宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)

宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)

宮内庁の管轄だ。

宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)

宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)

【参考】

新感覚! エンターテイメント歴史マガジン「歴史人」への写真掲載

 

【金刀比羅神社】

多数の鳥居をくぐり抜けると

金刀比羅神社(伊勢市倭町)

金刀比羅神社(伊勢市倭町)

その先に金刀比羅神社の拝殿がある。桜が満開だった。

金刀比羅神社(伊勢市倭町)

金刀比羅神社(伊勢市倭町)

なお、拝殿には御祭神の名が示されていた。神落萱神の名があるので先ほどの石柱にも神落萱神社の社名があったのだろうか?

金刀比羅神社(伊勢市倭町)

金刀比羅神社(伊勢市倭町)

 

宇迦之御魂神がお祭りされているので、稲荷講の札が貼られているのだろう。

金刀比羅神社(伊勢市倭町)

金刀比羅神社(伊勢市倭町)

 

金刀比羅神社を後にすると花壇の先に見える次の道標に従って隠岡遺跡公園へ向かった。

隠岡遺跡公園への道標

隠岡遺跡公園への道標

右手に少し入ったところ、道路からでも竪穴式住居は見えるので迷うことはない。

 

【隠岡遺跡公園】

隠岡遺跡公園(伊勢市倭町)

隠岡遺跡公園(伊勢市倭町)

まずは案内板をパチリ。

隠岡遺跡の説明板(隠岡遺跡公園)

隠岡遺跡の説明板(隠岡遺跡公園)

 

階段を上ると右手に見えるのはは竪穴式住居と市営住宅 倭隠岡団地。

隠岡遺跡公園(伊勢市倭町)

隠岡遺跡公園(伊勢市倭町)

 

隠岡遺跡公園を後にすると先ほどの花壇がある道へ戻り、坂道をさらに上った。しばらく進むと左手の視界が開けて先ほどお参りした倭姫宮の社叢が見えた。

倭姫宮の社叢の遠望(宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)から間の山へ)

倭姫宮の社叢の遠望(宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)から間の山へ)

狭い坂道をさらに進むと

宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)から間の山へ

宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵伝承地)から間の山へ

上り切った右手に更地があった。以前ここには両口屋という名の旅館が建っていた。

 

【両口屋の跡地】

以前、津市白山郷土資料館で「伊勢古市 旅館 両口屋」の古いポスターが展示されているのを見たことがある。

両口屋の跡地(伊勢市倭町)

両口屋の跡地(伊勢市倭町)

【参考】

 

この跡地を右へ巻くように進み尾部坂を下って小田橋へ抜けようとしたところ、

両口屋の跡地(伊勢市倭町)

両口屋の跡地(伊勢市倭町)

この更地で・・・・

両口屋の跡地(伊勢市倭町)

両口屋の跡地(伊勢市倭町)

こんなものを見つけた。「これは何だろう?、また、いつの時代のものだろう?」

両口屋の跡地(伊勢市倭町)

両口屋の跡地(伊勢市倭町)

 

歩いていると疑問がつのるばかりだ。疑問が発生するペースが解決できるペースを上回っているので疑問が増える一方だ。

 

尾部坂を下ると

尾部坂(伊勢市倭町)

尾部坂(伊勢市倭町)

途中の左手には「間の山 お杉お玉」の石柱がある。以前はもっと坂の下に建っていたのだがいつも間にか坂の中央付近へ移動されていた。

尾部坂にある「間の山 お杉お玉」の石柱(伊勢市倭町)

尾部坂にある「間の山 お杉お玉」の石柱(伊勢市倭町)

 

尾部坂を下り切ると歴史を感じさせる建物が並んでいる。今は店舗として活用されているようだ。

尾部坂から小田橋への途中

尾部坂から小田橋への途中

 

そして、小田橋へ到着。

小田橋付近(伊勢市尾上町)

小田橋付近(伊勢市尾上町)

手前に小公園があるので、こちらで昼食とした。いつもなら歩きながらの食事なのだが、

小田橋付近(伊勢市尾上町)

小田橋付近(伊勢市尾上町)

今日はいいところにベンチがあったので、こちらで昼食兼小休止。恒例のおにぎり三個だ。

小田橋付近の公園にて昼食

小田橋付近の公園にて昼食

 

早々に昼食を終えると近くに立つ簀子橋の道標をパチリ。

簀子橋の道標

簀子橋の道標

「簀子橋の道標」の説明板

「簀子橋の道標」の説明板

 

予定では簀子橋、錦水橋を経由して宇治山田駅へ立ち寄ることになっていたが天候がすぐれず空気中の水分が増加してきたので寄り道は抑えて本来のお伊勢さん125社まいりを優先することにした。

小田橋で勢田川を渡ると

小田橋(勢田川)

小田橋(勢田川)

橋の途中から下流側の簀子橋(緑色)、錦水橋(淡いピンク色)を確認した。

小田橋から望む簀子橋と錦水橋(勢田川)

小田橋から望む簀子橋と錦水橋(勢田川)

 

橋を渡ると左手には柳の下に

小田の橋の説明板付近(伊勢市岡本)

小田の橋の説明板付近(伊勢市岡本)

説明板がある。

小田の橋の説明板(伊勢市岡本)

小田の橋の説明板(伊勢市岡本)

 

小田橋を後にするとしばらくは勢田川に沿って上流側へ進んだ。

近鉄の高架(小田の橋の説明板付近)

近鉄の高架(小田の橋の説明板付近)

こんなところを歩いていると様々な記憶が蘇るが、もっともインパクトが強いのは勢田川を河口歩いたことだろう。

【参考】

 

姫之橋付近を過ぎてから道なりに御木本道路を交差すると

姫之橋付近(勢田川)

姫之橋付近(勢田川)

御木本道路を内宮方向(左)へ折れた。歩道には外宮臨時[P]の看板があった。最近は外宮への参拝者も多いため

外宮臨時[P]の看板(御木本道路)

外宮臨時[P]の看板(御木本道路)

こんなところも臨時駐車場として利用されている。ここも満車に近い!

外宮臨時[P](三重県伊勢庁舎駐車場)

外宮臨時[P](三重県伊勢庁舎駐車場)

 

三重県伊勢庁舎を背にして

丸山橋(朝川)

丸山橋(朝川)

 

朝川沿いに進むと前方右手に社叢が見える。

丸山橋から朝川沿いに田上大水神社へ

丸山橋から朝川沿いに田上大水神社へ

 

【田上大水神社、田上大水御前神社】

こちらが古墳にあるとされる田上大水神社、田上大水御前神社。

田上大水神社、田上大水御前神社

田上大水神社、田上大水御前神社

石階を上ると

田上大水神社、田上大水御前神社

田上大水神社、田上大水御前神社

御垣の中に

田上大水御前神社、田上大水神社

田上大水御前神社、田上大水神社

二宇の社殿が建てられていて特徴的なのはその向きだ。田上大水神社は南面、田上大水御前神社は東面している。

田上大水御前神社、田上大水神社

田上大水御前神社、田上大水神社

 

お参りを終えて石階を下ると右手・・・。神宮司庁の貯木場の先には次に訪れる山末神社の社叢がある。このフェンスをぐるーりと右へ巻くように進むと

田上大水神社付近

田上大水神社付近

 

【山末神社】

貯木場の入口と対面するように山末神社の参道入口がある。

山末神社

山末神社

参道と言ってもこんな感じで、目の前に社殿は見えている。

山末神社

山末神社

 

こちらの特徴は、

山末神社

山末神社

鳥居の位置で、

山末神社

山末神社

石積みの壁と間隔がこれだけだ。通れないことはないが「なぜこの配置?こだわる理由は?」とまだまだ疑問が解けていない。

山末神社

山末神社

お参りを終えると、

山末神社

山末神社

 

次の訪問地である度会大国玉比賣神社、伊我理神社(井中神社を同座)へ向かった。

山末神社から度会大国玉比賣神社へ

山末神社から度会大国玉比賣神社へ

 

 

【 20140329 の記録 】

 

Comments

  1. お久しぶりです。
    山末神社の参拝の仕方・・・鳥居をどうくぐろうかというのはいつも悩みます。
    普通は鳥居はくぐっていくよな、と。
    なぜにここだけこのような奇抜(?)な配置なのかは疑問ですね。

    1. p_m_aさん
      訪問ありがとうございます。
      ほんとに山末神社の配置には興味を覚えます。社殿は南向きなので限られた境内の中で向きを優先した結果のような気もします。しかし別の理由があるかも知れないので、私の解決すべき疑問リストに記されています。
      何かわかったら教えてください。
      では、また、

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